しかし通信環境はあくまでも一つのツールなので、人によって内容はやはりその人の能力に比例します。本来持っている考える力や、想像力と創造力が試されます。ツールをどう使いこなせるかでもこの世の中を生き抜くことが不可欠になってきます。それが今だにできていないのが今の政府でありこの国のトップです。
人は今までのルーティンをなかなか変えることができません。音楽業界がデジタルに移行し始めたのは1970年代あたりからです。冨田勲さんがシンセサイザーと出会い使い始めたのが1972年くらい、その後YMOが1978年ころに出てきました。確か私が大学生の頃に富田さんのシンセ音楽に出会いましたが、衝撃的な出来事ではありました。スタジオ仕事を始めた頃は既にマルチトラックがで始めた頃で4Ch(チャンネル)から8、16Chへと倍々に増えていきました。あっというまにアナログ録音からデジタルになり、さらにコンピューターに変わっていきました。思えば激動の時代をいきてきたなあとつくづく思います。2Chの時は録音してしまえばおわりですが、マルチになるとその分TD(トラックダウン)などの作業が増えて行き、本当に便利になったのかといえばいささか疑問でもあります。今ではさらに下手くそな歌手の音程なおしなど作業が煩雑になっています。今では気軽にパソコン一台あればほぼできてしまうという超便利な世の中になりましたが、古い人間にとっては常に対応していかなくてはならず、それも結構負担ではあります。おかげでそんな歴史を見た人間からすると世の中の変貌はめまぐるしいものではあります。
音楽メディアも、レコードからカセット、CDやMD、DATなど様々に変化してきていまではどれもなくなり配信という形になりました。作品そのものを作るのは超アナログですがそれを表現するメディアはファイルという形になってしまいました。ガシガシ仕事をしてた頃はCDが主流で、スコアーを作れば済んでいた仕事は終わっていましたが、だんだんとコンピューターの知識が必要になり、さらには楽器全般の打ち込みへと変化しています。余計なことが増えているにも関わらず値段は安くなり、生活は厳しいですね。しかし、好きなものが好きなようにできるという利点もあります。去年くらいから世の中に対応すべく配信へと変化することに決めて活動しています。
さてそんな事とは無縁に普段の生活は淡々と過ぎて行き、今年も後半分も無くなってきましたね。コロナコロナと言っているうちにあっという間に過ぎて行きます。昨年親友を亡くしてしまいましたがまだお墓参りには行くにはこの感染状況はリスクがあります。あれからまだ一年も経っていないのですがなんだか遠い昔のようにも感じます。正確な死亡日はわかりませんが、勝手に10月12日と命日を決めています。
緑井囲まれたいつもの散歩道