2020年5月27日水曜日

音楽のDNAを残す

 子供の頃から先生に恵まれて生きて来た。まず大学の溝上日出夫先生が亡くなられその後、中学生から指導していただいた新潟の押見栄喜先生が2015年7月に亡くなられた。この二人が私の音楽の素になってます。押見先生からはピアノと歌と音楽の基礎を学び、溝上先生からは、作曲の楽しさや人間との交流酒の飲み方???を学んだ(笑)人間との交流という面では、今でも付き合いのあるたくさんの人たちとの出会いもある。どちらもとても大切なことです。大学の後半で、小林亜星さんの事務所でお世話になり、編曲家であった筒井広志さんに様々な編曲テクニックを現場(スタジオ)に連れて行っていただき実地研修をさせていただいた。そんな歴史があり様々な先生方にお世話になって、悠木昭宏の音楽が成り立っています。それぞれの音楽に関わる感性やテクニックに囲まれて過ごして来た青春時代も、もはや晩年に差しかかっています。
 10年前から、音楽教育に関わり出していますがそれも残すところ後およそ3年に差し掛かったところです。コロナウイルスの影響で、多分この1年はほぼ対面授業は望めません。例に漏れず私の大学もリモート授業になっています。そんな中、前から気になっていた若い先生たちの音楽的感性を知ることができました。ピアノと歌の両方の先生が在籍していますが、資料作りのために歌ってもらう機会を得ました。
 その歌を聴いて気づいたのがフレーズの表現力です。どんな楽器の人でも心の中でフレーズを歌えることが音楽の基礎だと常々思っています。大学の恩師溝上先生は作曲家ですが、歌を特に大切にしていました。
 大学では保育を目指す学生達を教えているのですが、歌さえちゃんと歌えていれば、ピアノを弾いてもフレーズ感は出ます。両方ができる先生というのがなかなか少ない。その理由は明確です。歌えてないからです。どうも機会的なテクニック優先の演奏になりがちです。聞いてみるとどうも歌は苦手でという先生が多い。そこは順番が違うだろうとずっと思っていました。
 オンライン授業の資料作りの過程でちょっと歌を歌ってもらおうと頼んでみたら一部の先生ですが、みなさん快く引き受けていただきました。ここをちょっと直せばよくなるのにという思いが大きくなり、この若い先生達に、私が先人の先生から受け継いだ音楽のDNAを残したいという思いが強くなり、今ちょっとアドバイスをしています。
 長くなるので歌に関してはまた別の機会に書きます。6月に入るとオンラインに学生が現れます。学校が使えないので学生の通信環境の違いや、楽器がない人などそれぞれ違い、その上にピアノ未経験者もいるというバッラバラな環境の中、それぞれに対応した授業は難関ですが、チャレンジしていきたいと思っています。


前の畑に咲いてる花

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